ミルクティー日録

ワタシが世界の中心だ

いつだって最後に頼るのはSMAPだった

現在、8月15日、SMAP解散が報じられて丸一日が経った。

 

初めに言っておくが、私はSMAPのファンではない。茶の間でもない。ただ、SMAPはジャニーズだという認識しかない。その位の人間だ。そして、私はSMAPの全てを知らない。SMAPが生きた時代を子どもとして過ごした、ひとりの子どもの独り言程度に受け取って頂けると有難い。

 

イマイチ、考えがまとまっていない。今はSMAPのオレンジを聴いている。私の、想い出の曲だ。ちなみに泣いている。感情だけで書き始めてしまったために、日本語が成り立っていない部分もあるかもしれないが、許してほしい。

 

 

 

1988年、SMAP結成。当時のメンバーは、木村15歳、中居15歳、稲垣14歳、森14歳、草彅13歳、香取11歳。

 

 

1988年、私は人間の種にもなっていない。もしかしたら、今こうして存在しなかったかもしれない。

 

 

1991年9月9日、「Can't Stop!!-LOVING-」でCDデビュー。

 

 

それから6年後の1997年、私はこの世に生を受けた。同年、SMAPのバックについていたKinKi Kidsが「ガラスの少年」でCDデビュー。

 

 

 

SMAPは、「ジャニーズとは」という、とても大きなテーマを提示した、偉大な存在だったと思う。その一つとして、「解散」の文字を消したのが一番大きいのではないか。昔は、解散するのが普通だったらしい。50年程昔に遡る。

 

 

  • ジャニーズ【1962年結成、1967年解散】
  • フォーリーブス【1967年結成、1978年解散】
  • たのきんトリオ【1979年結成、1983年解散】
  • シブがき隊【1981年結成、1988年解散】
  • 少年隊【1981年結成、解散はしていないが現在ソロでの活動のみ】
  • 男闘呼組【1985年結成、1993年解散(?)】
  • 光GENGI【1987年結成、1995解散】

 

 

これらは、私がネットを頼りにかき集めた情報だ。全てが正しいかは分からない。ここにあげたグループの他にも、たくさん解散したグループはいるが、私がかろうじて知っているグループ名をここではあげさせてもらう。そして、

 

 

SMAP【1988年結成、2016年12月31日解散予定】

 

 

昔は「解散」が当たり前だったアイドル。「解散」という選択肢を消したアイドル。そのアイドルが「解散」という選択をした。現在、ジャニーズ事務所からデビューしているグループに再度「解散」という選択肢を与えた。これは、ジャニーズ事務所に所属するタレント、そのタレントを応援するファンにとって、「革命」であり、歴史的瞬間だ。

 

 

解散報道がされてから、ずっと、「この世からSMAPという名前が消える」という事を考えていた。そうして、丸一日が経った今、ようやく現実味を帯びてきた。現実味を帯びてきた今、私の中に残っている感情は「全部悲しい」それだけだ。

 

 

 

たくさんの思い出が存在した。SMAP冠番組、そして現在も継続されている「SMAP×SMAP」は、私が生まれる前から放送されていた。つまり、私がこの世に生まれた時にはすでにSMAPは存在しており、私はSMAPのいない世界を知らない。SMAPのいる世界が当たり前の中で育ってきた。

 

SMAPのダブルミリオンセラーを達成した名曲「世界に一つだけの花」が発売されたのは、私が6歳になる年だった。私よりも一つ下の年中さんが、年長さんだった私のクラスにわざわざやってきて、手話付きで「世界に一つだけの花」を披露したのをよく覚えている。その後放送されたスマスマを見て「お母さん!これね、この前年中さんが歌っていたよ!」と話したことも鮮明に覚えている。「世界に一つだけの花」の歌詞を、見開きのカードに、右側が私、左側が妹と振り分けて歌詞を書いたのもよく覚えている。それを祖母にあげたのだ。祖母はそれを額に入れて飾ってくれていた。汚い字だったが、心のこもった、当時6歳と3歳だった私たち姉妹からの贈り物だった。当時の私にとってSMAPとは、人と人とを繋げるツールとなっていた。

 

小学校に入学した。音楽の授業があった。そこに載っていたのは「世界に一つだけの花 SMAP」の文字と、歌詞と、音符。授業で歌った。それくらい、社会現象を起こした一曲だったのだなと、今振り返ると思う。親戚には「SMAPを授業で歌うの?すごいね」と口々に言われた。別に、私の曲ではないのに、凄いでしょ?って、なんだか得意げだった。スマスマを見ながらお母さんになんとなく「SMAPだったら中居くんが一番好きだな」と言った。「え!?趣味悪くない!?絶対香取くんだよ!」と否定された時は本当に悲しかった。そんな私も今では香取くんが一番好きだ。結局親子の趣味は似るのだ。

 

小学校高学年になると「山田太郎ものがたり」が放送された。私がドラマというものに触れた、最初の作品だ。そこからは、もう嵐街道まっしぐら。SMAPなんて興味すらなくなった。でも、毎週月曜日の夜は決まってついてたスマスマ。しっかり見ていたわけではないけれど、必ず家では流れていた。それが普通だった。

 

中学生になった。2011年3月11日、東日本大震災が起こった。いつも流れていたスマスマからは「not alone〜幸せになろうよ〜」に合わせて義援金を募るSMAPが映っていた。ジャニーズってこんなことするんだ。当時どハマりしていた嵐は何をしていたかというと、V.I.Pルームでアホなことばっかり。動物が怖くて逃げる人もいれば、「にゃんにゃんガォー」と言ってる人、それを突っ込む人。「◯◯いるやつプチョヘンザッ!」「イエア!イエア!イエア!イエア!」実にくだらない。でも、それがジャニーズだと思っていた。バラエティでアホやるのがジャニーズだと。今振り返ると、アイドルがバラエティに出演するという道を作ったのはSMAPだったんだな…と(そんなことは知る由もない)。兎に角、スーツを着て義援金を募る彼らを見てかなりの衝撃を受けた。

 

2012年、被災した同学年の女の子が私の中学に転校してきた。その子も嵐ファンだった。でも、その子が私に持ってきたのはSMAP AIDだった。

 

中学3年生になった。高校受験という壁にぶち当たった。その時聞いた、SMAP AID。嵐も勿論、私を励ましてくれた。それでも、SMAPの歌声と歌詞に、かなり励まされた。当時聞いていた曲が、冒頭にもあげた「オレンジ」だ。受験とは全く関係ない曲だが、そのメロディに癒された。「はじまりのうた」もよく聞いた。

 

悩んで 踏ん張って 凹んだりして 何かと大変なんだよね

 

「ちょっと待ってよ ストップ」なんて人生じゃできないから 毎日が意味を持つんだ

 

この歌詞は見事に受験戦争で戦っていた私に重なった。SMAPを聞いては涙した。

 

 

そして今。SMAPが解散すると聞いて、10割を「悲しい」が埋め尽くした私を支えてくれているのはSMAPの曲だ。オレンジを聴いては涙し、はじまりのうたを聴いては涙し、ススメ!を聴いては涙し、ありがとうを聴いては涙し、らいおんハートを聴いては涙し、Triangleを聞いては涙し。今は、SMAPの曲全てが私を励ましてくれているように感じる。ここまで、私の平凡でつまらない日常を読んでくださりありがとうございました。こう振り返ってみると、頻繁ではないけれど、必ず思い出にはSMAPがいた。ファンじゃないのに、SMAPは私の人生に何度も登場している。他のアーティストでもいいのだ。手話付きで披露してくれたあの曲だって、祖母に送った贈り物だって、学校で歌った曲だって、友人に借りたCDだって、受験の時に聞いた曲だって、今聞いてる曲だって。他のアーティストだって選択肢としてはあったはずなのだ。それでも、私が、私の周りが、選んだのは紛れもなくSMAPであり、他には代え難い存在になっていた。

 

「いつだって、最後に頼るのはSMAPだった」のだ。

 

SMAPの解散はやっぱり悲しい。SMAPが過去になるのが悲しい。いつかSMAPを懐古する日が来るというのが悲しい。この先、ジャニーズという道をここまで切り開くグループには出会えないと思う。いや、出会いたくない。SMAPを越せるグループは居ないんじゃないかと私は思う。越して欲しくない。SMAPが日本の国民的アイドルとして25年間第一線を走ってきたという事実を誰かに塗り替えて欲しくない。これは私のワガママだ。

 

 

毎日が予測不可能だよね。SMAPは永遠だなんて、そんな完璧なシナリオなんて存在しないよね。SMAPは解散しないんじゃないかって、本当は嘘なんじゃないかって、これは壮大なドッキリなんじゃないかって、希望を詰め込んでる胸が今日も泣いてるよ。5人は活動休止でも、誰かが脱退するでもなく、解散を選択した。でも、彼らがジャニーズであることに変わりはない。彼らの今後が、いい方向に進みますように。彼らの明日も、彼らの背中を追って頑張っていた後輩たちの明日も、ファンの明日も、今日よりちょっとだけHappyになれたらいいね。

 

 

最後に。SMAPには沢山勇気を頂きました。沢山励まして頂きました。「申し訳ありませんでした」なんて言わないで。ファンだけじゃなく、国民の心の中には絶対的にSMAPが存在し続けると思います。それくらいに偉大でした。ファンでもなんでもない私が言えるような立場じゃないけど、大好きです。中居くん本当に音ズレるよね、キムタクって兎に角ギラギラしてるよね、草なぎくんの「なぎ」って書けないよね、吾郎ちゃんってふわふわし過ぎだよね、香取くんってお茶目だね、って、年代問わず、色んな人と意見を共有できた日々は宝物です。これからも、SMAPは聴き続けると思います。28年間、本当にありがとう。私たちは見守ることしかできないけど。ぜひ、2016年12月31日まで、SMAPを全うして下さい。

 

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シルエットがジャニーズWESTのモノになった

と、私は勘違いしていた。

 

 

 

『シルエット』それは、関西ジャニーズを応援するファンなら知らない人はいないであろう、彼らの名曲だ。

 

 

 

私は、シルエットのCD化を望んではいなかった。

 

 

 

確かに、現ジャニーズWESTのメンバーも、シルエットを’’関西ジュニア’’として歌ってきた。でも、だからってジャニーズWESTのモノになることだけは嫌だった。未来が保障されていない、いつ、誰が、仲間から離脱するかもわからない、そんな不安定な世界を生きていた彼らの、様々な思いが詰まった曲。松竹座という小さな、でも沢山の夢と希望、挫折と涙が詰まったあの箱で歌い継がれてきた曲。私はそれを大切にしてほしかった。この先もずっと、後輩たちに歌い継いで欲しかった。’’関西ジュニア’’の曲として。

 

「いいMVになった」と、誰かが言っていた。それでも私は受け入れられなかった。受け入れたくなかった。私の心は’’関西ジュニア’’の歌うシルエットの大きさに縛られていたんだと思う。

 

初めて、ジャニーズWESTのシルエットを聞いたとき、思い浮かべたのはやっぱり、B.A.DやVeteran、濵田くんや7WEST、なにきんのいる関西ジュニアだった。あの時あの場所で歌い、見たあの景色にはもう戻れないという切なさ、輝いていたあの頃の甘酸っぱい思い出と、その儚さ、胸が締め付けられた。きっと、シルエットを歌っていた関西ジュニア本人たちも、彼らに追い風を吹かせていたファンも、あの儚く切ない、大切な一瞬を切り取っていた。だから、私はシルエットを聞くたびに懐古してしまう。やっぱり私はジャニーズWESTのシルエットを受け入れられない。そう思った。でも、そんな私の想いは2番の歌詞によって覆された。

 

’’まだ慣れない駅のホーム 電車が運んでくる風が

どこか懐かしい街のにおい 思い出 頬に触れた

あの頃撮った君の写真 どれもみな笑ってる

伝えた言葉を まだ覚えてる?

夕日の中に溶ける 僕らのシルエット

少し短い君の影

時が流れても 変わらぬもの 僕に教えてくれたんだ

君の大好きな歌 街に響き 僕らずっと口ずさんでた

同じ空の下 いつも微笑んで歩いてた’’

 

あの時、関西ジュニアとファンが切り取った同じ景色は確かに存在したし、「まだ言えなくて残っているこの気持ち届けなきゃ 大切なことは君がいること」と大切な人に伝え合ったあの刻を、彼らは覚えていた。事実は時が経っても変わらないんだ。そう気づいたときに、ふと「私は『シルエット』がジャニーズWESTのモノになったと勘違いしていた」と思った。流星くんが「名義上ジャニーズWESTとして出すけど、あの曲は僕ら含めた関西ジュニアの曲だ」と言っていた意味がようやく分かった。これは、当時の関西ジュニアの想いも、ジャニーズWESTから今の関西ジュニアへの想い、そして、未来の関西ジュニアへの想いも込められていたのだ。

 

でもやっぱり、過去形の歌詞には弱い。きっとこの曲は男性と女性のことを歌っている曲なはずだ。でもそのことに関してはハッキリとしていない。それは、聞き手である私たちが、私たちの思い描くようにシルエットに色を入れられる、ということだ。濵田担である私は、このシルエットをBOYS色に染めてしまう。きっとこの先もそうなることだろう。しかし、ジャニーズWESTのシルエットは過去を懐かしむだけではなく、前に進もうとする彼らの想いが乗せられている。過去にこだわるのもたまにはいいけど、今、この瞬間を彼らには楽しんでほしいと心から思った。それと同時に、私は新しいシルエットを少しずつ、本当に少しずつだけど受け入れられるようになっている気がする。あの頃の彼らが、あの頃のファンが、今の彼らに追い風を吹かせていると信じて。過去のシルエットも、今のシルエットも、未来のシルエットも、全部全部、関西ジュニアとファンの宝物だ。

重岡大毅に君が笑えるようにを歌って欲しい願望

漫画も読まない、恋愛映画にも興味がない、そんな私が『溺れるナイフ』の予告映像を見て、いてもたってもいられなくなってしまったので、指が動くのを静かに見守ってみようと思います。

 

 

 

予告映像で流れた重岡大毅演じる大友のセリフは「俺じゃ駄目なんか…?」というたった一言のみ。その一言から考察するに大友の役所は≪親友のコウのことを好きな同級生の夏芽に恋をするが、振り向いてもらえない≫といったところかな?

 

 

 

この映画の主演・ヒロインはもちろん菅田将暉さんと小松菜奈さんで、主題歌もその二人に重きを置いたものになるだろうとは思うのですが、違う視点で、もし、この二人を俯瞰で見ている大友勝利サイドの映画があるのだとしたら、主題歌は「これしかない!」と思いました。

 

 

 

それが、嵐の「君が笑えるように」です。

 

 

 

この曲は2014年にリリースされたシングル「GUTS!!」の通常版に収録されているカップリング曲です。嵐ファンの間ではかなりの名曲として知られているのではないかな?一時期、この曲を基にして書かれた某夢小説が話題になりましたよね!私もしっかり読んでいました(笑)

 

 

 

この曲に出てくるある男性は、きっと心の優しい素敵な男性です。

 

 

 

『巡り合えたそれだけで幸せだって思えるよ』

 

 

 

そんなことを言える男性は強いに決まってます。それでも最初はそんなに強くなかった。最初は彼女だけの幸せなんて願えなかった。今まで共に過ごしてきた幸せな日々を想うと、悲しくてたまらなかったはずです。

 

 

 

『何十回と書き直した僕の心のありったけは 未送信フォルダで古くなってく

何百回と繰り返した君の柔らかな笑顔は 忘れたいのに心の支えさ』

 

 

 

この歌詞が壊れそうで危なっかしくて儚い、そんな10代の恋模様を描いてるこの映画に登場する大友勝利、そのものを表していると思いました。僕を離れていく君に言いたいことがたくさんある。離れないで、なんで俺じゃ駄目なんだ。そんな悲痛な心の叫びが、(私の妄想の中の)大友に重なります。泣いたら忘れられるかなって、泣いてみるけど、君への想いは募る一方で。君が僕に残してくれたものだって愛おしくて手放せない。それが大友が夏芽に抱いていた想い…?

 

 

 

私は映画の原作を読んだことがないから、この先はすべて私の妄想になってしまいますが、そんな大友はきっと、彼自身の経験を通して成長していくと思うんです。夏芽に恋して変わったことだってたくさんあっただろうし、苦しい悲しいこと、多かったかもしれないけれど、楽しかった思い出も多いはず。そんな経験を見つめ返して、自分を成長させてくれた夏芽に、いつしか感謝の気持ちを持つのではないのかな。



 

 『素敵な気持ちがここにあるよ ありがとうって思えるんだ』


 


最後に出てくるこの歌詞が、全てです。楽しい思い出と、苦しい思い出、嫉妬、優越感、いろんな感情に刺激されて、いつしか成長できた自分に気付くのです。

 




そして、成長云々とかそういうのではなくて、もうひとつ。




『君の空 虹がかかるといいな』

『僕の想い 虹に変わるといいな』

 

 

 

この歌詞がとても切なくて、儚くて。「のう、望月、俺が笑わせちゃるけえ…」(公式サイト参照)と言い放った大友の想いが、この歌詞に完全にリンクしました。やっぱり大友勝利は優しくて、弱くて、強い。

 

 

 

本当にいい曲です。嵐に詳しくない方にも是非、聞いていただきたいです。嵐の隠れた名曲ではなく、嵐の名曲として、私は推していきたいと思っています(笑)

 

 

 

この映画は11月公開なので、またその時期になったら書き換えるかもしれませんが、本当に予告だけで色んな思いが押し寄せてきたので書いてみました。なんかいろいろ違ったらごめんなさいm(__)mそして、題名には「重岡大毅に」とありますが、この内容からだと「重岡大毅が演じる大友勝利に」ですね…全然意味が違いますが、ご愛敬ということで(笑)

大きな声で「大好きだよ」って

4月22日、濵田崇裕初座長舞台「歌喜劇・市場三郎〜温泉宿の恋〜」が幕を開けました。

 
 
 
“歌喜劇”という初めて聞く言葉に「なにそれ?」と疑問でいっぱいでした(笑)が、ラジオで濵田くんが言っていた「吉本新喜劇に歌を足した感じ」という言葉をもとに、開演前から胸を高鳴らせていました。
 
 
 
私が入ったのは4月23、28、30日の3公演。あんなに楽しかった時間を過ごしたのはいつ振りだろうか…という具合にとっても楽しいひとときでした。私の少ない脳みそのキャパで、これから覚えていることをつらつらと書いていこうと思います。
 
 
 
いざ綴ろうと思っても手が進まない。それは多分市場三郎を観劇したファンになら分かるはずじゃないのかな…この舞台は『観た者にしか分からない何か』がありました。強いて言うなら「ただただ面白かった」それだけです。
 
 
 
勢いよく舞台上に飛び出してきた濵田崇裕演じる市場三郎はとても純情な青年でした。5年前に『浮気したらぶっころすぞい!』とだけ言い残してドイツへ飛び立って行ってから全く連絡をよこさない彼女・ララの事を想い続けひたすら三田運送興行で働く三郎。そんな三田運送興行での慰安旅行先でララそっくりな動物の飼育員さんに恋をします。そして、その夜に行ったスナックで働いているキャサリン、慰安旅行最終日に出会った芸者、その3人は全て同一人物でした。行く先々で彼女に出会った三郎は、彼女がお金に困っていることを知ります。慰安旅行後も文通を続け、しばらく経った頃に「私たちの将来の話がしたい」と言われ、三郎はララそっくりの彼女の元へ “100万円を持って” 訪れる…までは良かったんだけど。渡した直後に言われた言葉は「これで家族が賄える」。なんと、ララには旦那さんに加えてふたりの息子が居ました…
 
 
 
この文面だけでは三郎はただの不幸人。父親には厳しく育てられ逃げ出すようにして市場を飛び出し、職場では叱られる毎日。5年ぶりに帰ってきたララは別人のよう(というか別人)になって帰って来、帰って来たと思ったら日帰りでドイツに帰ってしまう。とことん不幸な三郎。全くもってハッピーエンドではありませんでした…(笑)それでもこの世界ではハッピーエンドになってしまうのだから不思議だったなあ。
 
 
 
キャストの皆さんは、素人の私が聞いても本当に綺麗だと思うような歌を聞かせてくれました。熱いスポットライトを浴びながら、2時間分のお芝居をする事だけでも難しいことだと思うのに、それに加えて歌、しかも全てアカペラで。この座組のチームワークに終始感動していました。それは、舞台中だけではなくて、開演前に流れたVTRも込みで、です。「市場三郎は濵ちゃんにしかできない」「濵ちゃん大好き」そんなキャストさんからの声に感動しっぱなしの私(笑)最後は濵田くんを囲んでわちゃわちゃ…ある方は濵田くんを担ぎ上げ、ある方は濵田くんの靴を脱がし、ある方は濵田くんをくすぐり…皆さんの笑顔がキラキラと輝いていて…本当に素敵な座組だと心の底から思いました。
 
 
 
この舞台の見どころは?と聞かれたら観劇された方のほとんどの方が答えるであろう「ホットパンツ」
 
 
 
いや、だからホットパンツって何者!?観劇した私でさえもわからない謎の存在ホットパンツ(笑)結局妖精なの?なんなの?いや、分かりません。わからない方がいい気も…
 
 
 
そんな存在がわからないホットパンツだけれども、この舞台で最も鍵を握っているのはこの「ホットパンツ」だと思います。
 
 
 
最後の最後、三郎がララにもララそっくりのあの彼女にも離れられてしまって、絶望の淵に立たされている時。サザエをもってスッと現れた彼が言った一言
 
 
 
「せっかくここまで来たんだから、温泉にでも浸かって帰ったら?それで全てを水に流すの、温泉だけに」
 
 
 
人生そういうことです。生きていれば、信じられないような1日だってある。まさにこの三郎のように。でも、そんなことにいちいち躓いてたらキリがないんです。そんなこともあるだろう、明日はもっといい日になるんだ。そうやって嫌な出来事を水に流すことが、この世の中を生きていく上で最も大切で、この舞台が伝えたかったことなのかな…と。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
改めて。濵田くん、初座長おめでとう。そして、お疲れ様でした。多くの人々の心を温め、優しい笑いに包んでくれたあなたの演技を、この座組を胸に、三郎のように、笑って前に進もうと思います。
 
 
 
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濵田崇裕に歌って欲しい曲10選

私の最近の趣味は『この曲を自担が歌ったらかっこいいだろうな~』と、妄想することです。そんな妄想を爆発させるべく、こんな記事を書かせていただきます。題して、

 

濵田崇裕に歌って欲しい曲10選

 

はい(笑)10選とは言ったものの、まとめてみるとまぁ信じられないほど願望の大渋滞。かなり悩み抜いた10曲をあげさせていただきます。共感いただけたら嬉しいです、世の濵田担様・・・

 

あきれるくらい僕らは願おう / TOKIO

まずはこの曲。昔、少クラプレミアムで錦戸くんが歌っていたので知っている方も多いのでは?と思います。雨傘と一緒に両A面としてリリースされた曲です。最近の曲だと記憶していたはずなのに2006年だと聞いてびっくりです(笑)時の流れは早い・・・

”数えきれないその涙が笑顔に変わる日まで ずっと手を繋ごう”

この歌詞が毎日を全力で生きている(?)濵田くんっぽくて好きです。ピアノに合わせてしっとり歌う濵田くんを容易に想像できます。かっこいい。

 

Carry on / 嵐

この曲は2007年リリース「Time」というアルバムに収録されている曲です。あまり知られていないかもしれませんが、私は嵐の隠れた名曲だと思っています。曲調こそ暗いものの、その歌詞は前向きなもので、元気がない時に聞くと(私は)励まされます。

”自分を信じる強さだけが 未来の扉こじ開けていくさ”

”叶わぬ夢はないとまた信じてみよう”

自分を信じ続けてデビューを勝ち取った濵田くんに是非歌って欲しいものです。

 

青の時代 / Kinki kids

この曲は1998年にリリースされたKinki kids初の両A面シングルです。この曲は歌詞もいいですが、何より曲調が好きです。サビで半音上がる部分があるのですが、そこがたまらない!なんも言えねえ!です。濵田くんが歌ったら、彼の声が映えるだろうなあと、妄想の時点でうっとりです。

 

リフレイン / 嵐

こちらは2010年にリリースされた「僕の見ている風景」に収録された一曲です。こちらも嵐の隠れた名曲です!!

”少しずつ 少しずつ 過ごした日々も 鮮やかに変わっていく”

力強くもだんだん儚い声色に変わっていくここの二宮くんパートは、きっと濵田くんが歌うと本家に負けず劣らずの儚さが待っていると・・・嗚呼。

 

ブリュレ / 関ジャニ∞

 これは昔、濵田くんも関西ジャニーズJr.として少クラで歌っていましたね(^^)/完全にその影響です。私が「濵田くんにこんな曲を歌って欲しい」と妄想し始めるようになったきっかけもそれです(笑)

”きっと牽制してるんだ どこか謙遜してるんだ ぎこちない歯車 手を指しのべたらどうなるんだ 時間の限り考えましょう”

”いろんなアングルで眺めてたいや 皿の隅々まで”

この濵田くんのソロパートにやられました。かっこよすぎる。何だあれは。身体に電気が走ったかのような衝撃でした。この少クラのおかげで関ジャニ∞のブリュレも大好きになりました。ほんとに大好きな曲です(笑)いつかは全編濵田ソロのブリュレを聞いてみたいです。

 

Song for me / 大野智

 言わずと知れた智くんソロの名曲です。ミディアムバラードなのにかなりハードなダンスナンバーです。嵐ファンなら一度は恋に落ちる曲(だと私は思っている)です。そのくらいかっこいい曲です。指先まで神経を使っている繊細なダンスに圧倒的な大野智の歌唱力の相性は抜群です。あんな繊細なダンスはきっと大野智にしかできないと思います。じゃあ濵田くんは?って。濵田くんにはSong for meを彼のオリジナルダンス込々で披露してほしいのです(欲が爆発)。濵田くんの歌唱力と濵田くんのダンスが交わった時にはきっと素晴らしいエンターテイメントになるのでは!!

 

monologue/ 錦戸亮

8UPPERSの錦戸くんのソロ曲です。なんでこれを濵田くんに歌って欲しいと思ったのか、明確な理由がありません。見つからないのです。でも、確かに、この曲を聞いてて「この曲を濵田くんに歌って欲しい!」と、ビビッと来たのです。この曲は悲観的な歌詞で、”いずれは灰になってく 煙草も僕もあの街も” が歌い出しです。最初聞いた時は「なんだこの曲!?暗い!」とびっくりしたものです。そんな歌詞の中でも ”拳握りしめ戦ってるんだ” という力強いフレーズ、メッセージに心打たれました。歌って欲しい、ただただ、濵田くんに。

 

スケアクロウ / 錦戸亮

 二連続、錦戸亮くんです(笑)この曲は優しいメロディーと歌声がクセになります。スケアクロウとは≪かかし≫という意味で、この曲名に込められた思いは「あなたが迷わないように自分がかかしになって立ち続ける」だそうです。なんて素敵なの・・・と感動しました。

”風が吹いても 雨に打たれても また少し色褪せても 僕は此処にいるだろう”

濵田くんは「俺たちは離れたりなんかしないから(ニュアンス)」とよく言っている気がします。そんな濵田くんとこの歌詞が重なりました。ぜひ優しく歌い上げて欲しいです。

 

Dye D? / 関ジャニ∞

 この曲はもうこの一言に尽きる!かっこいい!以上!人間のお姫様に恋する吸血鬼の話です。濵田くんが吸血鬼?むり~!泣ける~!ボキャ貧につき語れません。いと悲し。ジャニーズWESTでは流星くとか神山くんが英語でよく歌ってるイメージが強くて、なんとなく、濵田くんが英語で歌ってるのを見たいな~という完全なる私情で選んだ一曲です。曲名の意味が「悪い色に染める(ニュアンス)」だったり、お城の古時計が鳴ったり、雰囲気がすごく好きです。濵田吸血鬼と禁断の恋をお城で、悪い色に染められたい人生だった・・・

 

優しさを胸に抱いて / 堂本剛

堂本剛作詞作曲の一曲です。1番の詩と2番の詩の間には15年以上の空白があるらしく、1番では10代の剛くんを、2番では30代の剛くんが見られるのが面白いです。

”キミを少しずつ傷つけていくから”

”色も褪せない恋にめぐり合った不幸を 音も立たないページに浮かべたまま”

とにかく歌詞が綺麗。切ない。儚い。濵田くんも時々、どこか切なくて、どこか寂しいような顔をする時があるように思います。いつも笑顔なのにその笑顔の奥底に隠し持ってるそんな感情を前面に押し出して、この曲を歌ってもらいたいです(妄想のクセがすごい)。

 

本当はもっと歌って欲しい曲があったんですけどね、10選と言ってしまったから(笑)いかがでしたでしょうか!?私の独断と偏見100%な記事を最後までスクロールしていただいて、まことにありがとうございました!私のくだらない妄想はこれからも続いていきますが、ひとまずはこの辺で失礼します(笑)

中間淳太に渇いた花を歌って欲しい願望

“渇いた花”



言わずと知れた名曲です。隠れた名曲?いやいや、名曲です。私は関ジャニ∞の名曲としてゴリ推ししてます。誰がなんと言おうと名曲です。


『今は泣かせておくれ 渇いた花になろう』


なんて綺麗な歌詞なのだ!と、初めて聞いた日にはとてもとても感動しました。きっとこの花は沢山の葛藤、悩みの中を生き抜いたのだろう…と。花は渇いたら萎れてしまうのに、この曲に出てくる花は萎れていない。むしろ、前向きに生きている。どんなに心では泣いていても、笑顔で生き続けている、そんな強さを感じます。でもその強さはとても儚くて、時に切ない顔を見せます。触れたら壊れてしまいそうな繊細なものをこの“渇いた花”は持っています。


なんで淳太くんにこの曲を歌って欲しいのか。それは彼の声がまさしく“儚い” “切ない” “繊細” を兼ね備えた歌声だと思うからです。


そしてもう1つの理由。それは、この“渇いた花”を人に例えると、中間淳太 しかいないと(私は)確信したからです。



(ここからは暫し、私の妄想ですお許し下さい)



きっとこの花はひとりで何もかもを抱え込んでるんです。『どうしてあんなに急いでたんだろう?自由が欲しいと叫んでたのに』『どうしてあんなに酷く傷つけ誰も信じず生きていたんだ?』周りに気を遣えば遣う程、何が正しいのか分かんなくなる。周りには迷惑かけたくないから誰に相談していいのかも分からない。でもこの花はしっかりしてるから、そんな素振りも見せず、誰からも心配されない。周りからの信頼が大きいからこそ、とても孤独だと思います。


そしてそんな花と淳太くんは私の中で完全に一致しました。気遣い上手、場の空気を読むのもうまい、グループの最年長、それ故の絶対的な信頼。濵田くんも言っていた通り、恐らく彼は「丈夫な人」です(なにわぶ誌参照)。でもきっとそれは彼なりによく考えた上での格好であり、本当は沢山悩んでいて、心では涙を流したこともあるのではないかと思います。例え彼が完璧ボーイであったとしても、人という事実に変わりはありません。人はそんなに強くないです。たぶん。グループ内には手のかかる弟たち(笑)も居て、淳太くんを心配する人なんてきっと桐山照史くらいです。でもその位、信頼されてるのだろうと思います。孤独を感じることもあるでしょう…



(ここまでは全てフィクションでお送りしました)



もし仮に、淳太くんの本当の姿が私の描く淳太くんと重なるのなら、やっぱり私は中間淳太に渇いた花を歌ってほしいです。中間淳太のいちばんの理解者である桐山照史とデュエットなんてしてくれたらこの世に後悔はありません。やっぱりB.A.Dは強いです。結論そこです。あのふたりの関係性がずっと、この先ずっと、オンリーロンリーを杖をつきながら歌う日までずっと続けば、それでいいんです。気付けばB.A.Dの話です。B.A.D万歳。

立ち見席

先日、ジャニーズWESTのラッキィィィィィィィ7で初めて立ち見というものを体験しました。チケットが届き、立ち見との表記があった時にはもうがっくし・・・しかしそこは「入れるだけで嬉しい」と思っていた頃の自分を思い出し、当日はルンルンな気持ちで会場に向かいました(笑)




立ち見席では何かと事情が違うらしく、色々と調べてから行ったのですがそれでも分からないことが多かったので、ここで体験談を書こうかと。嵐もアリーナツアーを控えてますし、どなたかの役に立てれば光栄です。




まず、立ち見席はA,B,C,D,E,Fブロックに別れていました。下手からAブロック、ぐるっと一周して上手がFブロックです。これはジャニーズWESTに限らず、他のグループでも同じなのではないかな?と思います。入場の際は一般の方とは一緒に入場せず、まずは開場時間前に横アリ裏の駐車場に集合します。その際、チケットに表記されている番号順に並ぶのですが、既に並んでいる方達に自ら番号を聞いて自分達の居場所を探さなければならないので、なるべく早く行った方がいいかと思います。私は10時開場だったので9時半に駐車場に行きましたが、既に多くの方が並んでいました。




いざ、開場時間になった!と思ってもすぐには入場できません。一般の方達がある程度入場してからの入場になりますので立ち見席の入場が始まったのは10時15分頃でした。規制退場ならぬ規制入場です(笑)待ち時間はとても寒かったので、冬の現場はかなり防寒した方がいいかと思います。夏は暑さ対策をしっかりと。コンクリートの上で待ちますので、それなりに覚悟が必要なのではないかと思いました。そしてAブロックから順々に係員の指示に従って入場します。Fブロックだった私は一番最後でした。




いろいろ調べると「入場してからはダッシュして場所取り」とか書いてあったので少し不安だったのですが、ブロック入り口ギリギリまで係員がいたのでそういうことはありませんでした。実際に立ち見席に入って思ったことは、通路側を取るべきだということです。アリーナ最後列と立ち見席は段差がなく、とても見にくいところがあったので、通路側を取っておけばそこから見易くなるかな、と。




コンサートが始まってみるとやはり見にくいと思うことが多かったです。私は低身長なので、目の前に高身長な方が立ってしまえば何も見えません(笑)場所によって変わるかもしれませんが、立ち見席が2列以上になることは恐らくないので、不安な方は底の厚い靴を履いていってもいいかもしれません。私は台か何かが欲しかったです(笑)




退場は入場同様規制退場となるので、アリーナ席の方と同時に退場しました。




やはり気になるのは落下物事情(?)私は余裕で銀テを取ることができました。それでも飛んでくるのはほんの少しで取り合いになることもあったりなかったり・・・でも取れないことはないです!




ざっとまとめてみました。こんな感じです(笑)他のグループと少し異なることもあるかもしれませんが。参考になれば嬉しいです。