ミルクティー日録

ワタシが世界の中心だ

最後の恋文。

 

私はこれからも、大きな出来事が起きない限り彼らのファンは辞めません。そして、彼らに逢いに行くことも辞めません。あの箱に詰まっている笑顔が、想いが、幸せが大好きだから。

幾度となく彼らに逢いに行くワケ - ミルクティー日録

 

これは、昨年の12月の私の記事です。その時はそう思ってたし、今でも思ってます。でも、その時が来ました。

 

 

 

私は二宮担を卒業します。

 

 

 

そして、その最後を選んだのがこの、『Are You Happy?』でした。

 

 

 

進化し続ける嵐はとってもカッコよくて、私は、彼らのファンであることを誇りに思ってました。でも、どんどん遠ざかる彼らに比例して、少しだけ、気持ちも遠ざかっていました。今までは利益不利益は考えず、ただ「好き!」という気持ちで応援してたけど、ずるずるファンを続けても利益がないという考えに至り、そしてこれを二宮担を名乗る最後の現場としたのです。

 

 

 

思い出話をします。初めて知った嵐の曲は『きっと大丈夫』でした。自称ジャニーズJr.(多分違う)のクラスの男の子(松本担)が授業中も休み時間もずーっと「ラキラキベイブ〜仕事はラストのオールマイグルーヴ〜なかなかベイブ〜今日は楽しい〜朝まで!!!!」って熱唱してて嫌でも覚えてしまったのを覚えています。そんな彼、この前久々にコンビニで見かけました。明星を開いて「こいつなんでこんな格好してんの?髪染めた?黒の方がかっこいい」なんてジュニア批評してました。まだジャニーズ好きみたいです(笑)

 

 

 

人生で初めて買ったCDは『Happiness』です。山田太郎ものがたり二宮和也という人を認識してから、私は幼いながらもWSやCM、バラエティやドラマを追い、雑誌を読み漁りました。その時、嵐はデビューして8年。8年というブランクを埋めることに必死でした。

 

 

 

たくさんの嵐ファンの方とも出会いました。それは、学校や習い事などの場も然り、SNSでの大きな出会いでした。たまの冗談、たまの貶しもあったけど、私と同じ熱量で私と同じように彼らを愛し、みんな同じ方向を向いて、彼らに追い風を吹かせていました。中でもSNSで出会い、今では「オタ友」としてではなく「友達」として仲良くしてる子も大勢います。嵐がくれた出会いです。この出会いはこれからも大切にして行きます。

 

 

 

初めて生で嵐を見たのは2009年12月4日、5×10の東京ドーム公演でした。私はこの公演で『人生で初めてのライブ』を経験しました。初めての東京ドーム、初めての芸能人、初めての音量の大きさ、歓声の多さ、全てに戸惑いました。それと同時に、芸能人は写真を撮ってはいけないこと、ライブでは人が飛ぶこと、彼らはとても小さいこと、色んなことを学びました。とても覚えてるのはメンステで歌った『明日の記憶』です。モニターに映し出される彼らの幼少時代に「彼らも子どもだったんだ」と、何故か嬉しくなりました。

 

 

 

それから毎年コンサートに行きました。とっても印象に残ってるのはpopcornでのエナジーソングです。中学三年生、受験で追い詰められ、毎日泣きそうだった日々を過ごしていた私に、私の母は「嵐いつ?」と聞きました。あの優しさが本当に嬉しかったなあ…『もう何もかも忘れてみんなで騒げば今日はいい日だ!』そうだ!騒ぎ倒してしまえ!受験なんてクソ喰らえ!って強く思いました(笑)ペンラが吹っ飛ぶんじゃないかというくらい本気で騒ぎました。LOVEもとても印象に残ってます。モノクロを歌ったあの衝撃は今でも忘れられません。びっくりしすぎて大騒ぎした私は、横の妹に「煩い」と一喝されました。その節は誠に申し訳ございませんでした。愛を歌おうの演出もすっごく好きだった。感動した。アンコールで花に囲まれた嵐はすっごく可愛かった。LOVEの演出が一番好きです。

 

 

 

初めてペンライト制御機能が導入されたTHE DIGITALIAN、初めて見た観客席の風景に息を呑みました。綺麗。綺麗すぎる。ファンの写真をバックにキミの夢をみていたを歌う嵐。そこに大きく映った私の姿。初めて、嵐のコンサートで号泣しました。恥ずかしかった(笑)でも、全てに感動しました。それから、毎年ペンラ制御、いろんな『新しい』を取り入れて、年々進化していく嵐。すごくかっこいいんだけど、少し寂しくて。思えば、嵐コールもC&Rもどんどん変わってて、やらない人も大勢いて、「私が好きになった嵐ってこんなだったかな」という疑問を抱くようになりました。私が知ってるアイドル・嵐は2009年からだけど、少なくとも今とは違う嵐でした。Japonismのテーマは『原点回帰』だったけど、そういうことじゃないという想いが溢れてしまいました。

 

 

 

『二宮くん』という永遠の王子様だと思っていた私の目の前に現れた『別の王子様』彼は歌が上手い、演技ができる、アクロバットができる、楽器ができる、アウトドアが好き、高身長、でも天然、愛されキャラ。高スペックです。そんな彼に惹かれ、私は二宮和也という文字が薄らいでいく日々を約2年過ごすことになります。

 

 

 

「担降りじゃなくて掛け持ちにしたら良いんじゃない?」そう言われ決心した私は、2014年11月26日、掛け持ちを始めます。初めて聞いた嵐以外のジャニーズ。彼らのアルバムを聴いた私の感想は「やっぱり嵐ってすごいんだな」でした。嵐の曲って統一性があって、嵐にしか歌えなくて、嵐の色が前面に押し出されてるって思いました。「嵐ツアー中だし、少しくらい他のグループに片足突っ込んでもいいんじゃない?」って軽率な行動をとったが故の今です。やられました。私の人生狂いました。どんどん彼らの存在が大きくなっていき、嵐からはどんどん遠ざかっていきました。そして2016年。新しい『別の王子様』の初座長舞台、連ドラ出演。本当に本当に心から嬉しくて、私は彼のこれからだけを見届けようと決めました。

 

 

 

そして遂に来た11月12日。私が二宮担を名乗る最後の現場。

 

 

 

前半戦、もちろん進化が止まらない嵐がそこにいました。DRIVEでの観客席の景色は本当にすごくて綺麗で、思わず「すご…」と呟いてしまうほどでした。そこからの繋がりもすごく嵐らしくて、小MCなんてほんとに面白くて(笑)

 

 

翔ちゃんの「いち、に、さん、し…むむっ!?」を皮切りに「一人足らないぞ!」「おおの〜!」って叫んで探すふりをする嵐が本当に可愛くて愛おしくて、

 

櫻井「みんなで呼んで見ましょう、せーのっ!」

『おおの〜〜!!!!!』

 

なんてベタな演出も嵐らしくて楽しかった…

 

 

 

で、その呼ばれた大野くん…出てくるんだけど、そこから嵐がどんどんタイムスリップしてるような感覚に陥りました。なんか違う…あれ?なにこれ?って、ほんとに困惑するの!でも、「あぁ、私が好きになった嵐ってこういう嵐だったなぁ。私はこうやって無邪気でキラキラな笑顔で満ちてる嵐が好きだったなぁ」って、久し振りに私の恋した彼らに逢えました。嬉しかった。青春ブギに関しては「嵐ってこんなライブがしたかったんだろうな、色んな経験をしてやっと辿り着いたのがこのライブだったんだろうな」ってゾクゾクしました。それと同時に「嵐がこんなことするなら、他のグループに勝ち目なんてないじゃない!」って(笑)嵐ってなんでもできる。やってのける。やっぱり私が嵐を好きになったことに間違いはなかった。ハッピーメドレーからアンコールにかけては久し振りに(と言っては失礼だけど)神セトリだった!盛り上がりすぎて、ゴリゴリにC&Rしたしゴリゴリに踊った!「これ歌ってくれるの!?え!?これも!?」って、幸せだった…

 

 

最後のエナソン。『ここまで色んなことあった』この歌詞を聴いた時、数時間振りに『別の王子様』の顔を思い出しました。彼の顔を(私的には)久しぶりに思い出したと同時に、脳内に溢れる二宮くんを感じました。「私、二宮担してる…」って思いました。そうしたら、なんか色んなことがフラッシュバックしてきちゃって…私が必死で二宮くんを追いかけてきたこと、二宮くんを尊敬してたこと、二宮くんに近づきたくて本気で両利きになろうとしたこと、二宮くんのためにたくさんポッキーを食べたこと、二宮くんのためにダイエットしたこと、二宮くんのために黄色い物を見に纏っていたこと、色んな人に「黄色似合うよね」って言われ続けたこと、二宮担ぽいって色んな人に言われたこと、待ち受けは二宮くんにしかしなかったこと、二宮くんの歌い方を真似したこと、二宮くんの仕草を自然に真似したあの日、ロケで二宮くんが家の近くまで来たのに逢えなくて悔しかったこと、マイクを持つ手はまんまるで可愛かったこと。

 

 

 

思わず泣いてしまいました。担降りするって決めたのは私自身だから、その決断に後悔はありません。でも、10年も見続けてきた彼とのお別れはやっぱり寂しいです。本当に大好きだった。

 

 

 

勿論、今でも好きだし尊敬してます。スパッと嵐関連を切れるほど潔いい人間ではございません。これからもゆるゆると応援はします。でも私の二宮担人生はもう終わり。

 

 

 

 

 

毎日可愛い笑顔を振りまいて、私に元気をくれた二宮くんに心からありがとう。私の日々を楽しいものにしてくれてありがとう。f:id:O1O17:20161118172320j:image