ミルクティー日録

ワタシが世界の中心だ

ずっと好きでいたかった。

 

 

 

私が濵田担を降りてから約2ヶ月経った。このツイートをした時は「本当に担降りしていいのか」「またすぐ出戻るのではないか」と、決心が簡単に揺らぎそうなほどゆるい決心だった。その決心が固いものになったので、ようやく整理しようと思う。これが私の最後のブログだ。

 

 

 

私は重岡担だった。

 

 

 

2014年11月26日。私は初めてジャニーズWESTに手を出した。デビュー後からではあったが、嵐を応援しながらもずっと彼らを見守り続け、掛け持ちをしようか悩み続け、やっと決断した日。私は重岡担となった。

 

 

 

初めての現場はなにわ侍 団五郎一座であった。ずっとずっと生で聞きたかったシルエットを初めて聞いて、涙が流れた。私はこの人たちをずっと応援し続けようと心に決めた。

 

 

 

一番楽しかったのはパリピポコンだった。あんなにはしゃいだコンサートは後にも先にもパリピポだけだろう。リトラ生放送直前の公演で「今この場におる人しかわからない合図作ろう」という誰かの提案で私はジャニーズWESTと、重岡くんと、秘密を共有した。もちろんその場には何万というファンがいるのだが、なんだか特別なファンになった気がして嬉しかった。ファンとの距離を感じさせないジャニーズWESTが大好きだと思った。

 

 

 

それから知った重岡くんの現実。ラキセコンで絶対に、絶対に、重岡くんと目があったのにスルーされた悲劇。『お手振りくらいしてよ。あぁ、私は手の届かないアイドルに何を求めてるんだ…』距離を感じさせないジャニーズWESTだったからこそ、近くに来てくれた重岡くんにスルーされたことがショックで、構ってもらえると思ってた自分に嫌悪感を感じた。そんな嫌悪感に襲われてた時、彼の団扇を持ってる女の子全員に丁寧に指差しファンサをしているアイドルを見つけた。濵田くんだった。ちゃっかりはましげ推しだった私は濵田くんのうちわも持っていたために、私は濵田くんから人生初のファンサを貰った。その日に私は担降りを決意、身の回りのオタクに報告し、ツイッターも垢移行した。

 

 

 

私は濵田担(ファンサ厨)となった。

 

 

 

重岡くんの顔がとにかく好きだったため、担降りをした当時は少しの寂しさが残っていたし、正直濵田くんの顔はタイプではなかった。それでも沢山の可愛いと面白いと愛おしいを振りまいてくれる濵田くんにどんどん惹かれて、私のオタク人生が180°変わった。モノクロだった世界に色が付いた。何より彼はたくさんのファンサをくれる。数え切れないほどのファンサを貰った。本当に距離を感じさせない濵田くんが大好きになった。

 

 

 

濵田くんの団扇を持ってるだけで周りから「えっ…?」って二度見されるような時代はあっという間に過ぎて(いやこれ本当にこんな時期があったのよ、今や信じられんけどな)周りは他担しかいなかった現場が気付けば同担だらけになっていた。重岡くんは最初からたくさんファンがいたし、みんなの重岡くんだったのに対して、ファンが少ない頃を知っている私は私の濵田くんなのに…なんて調子こいたこと言っていた。

 

 

 

同担拒否である。

 

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いやまさか、この私がまさか、同担拒否なんてしたことなかったこの私が、まさか、まさかのまさかで、同担拒否になった。現場で全身に紫を纏っている女の子を見ると吐き気がし、他担の皆様が濵田くんカッコいいって言っただけで「自担だけに沸いてろよ」って暴言吐いたり、そりゃまあ壮絶な同担拒否人生だった。今考えるとクソワロタ。

 

 

 

でももう濵田くんに盲目だった私は誰にも止められない。ブレーキってなに?気分は最早濵田崇裕のオンナだ。誰がなんと言おうと私は濵田崇裕のオンナであった。違うけど。いやでも私は確かに濵田崇裕のオンナだった。だって私濵田くんとドライブして海行ったし、スノボ行ったし、イルミネーションも見に行ったでしょ?仕事終わりに濵田くんの現場まで迎えにも行ったし、何より何度もタバコをふかしながら煙がかからないように私のこと抱いてくれたし。まあ何が怖いってこの思い出たち、クソほどエモいのに全部妄想なんですよね。ふと我に帰る、自分YABAIZO。

 

 

 

とまあ、こんな妄想ができるほどアイドル<<<<<<<<彼氏だった自担は初めてだった。いつしか私は濵田くんがアイドルであることを忘れた。アイドルとしての濵田くんではなく、一人の男性としての濵田くんに恋をした。恋に恋をした。濵田くんのために毎日バイトして、濵田くんだけをひたすら追って、そんな自分が大好きだった。テレビを見てても濵田くんにしか興味がなくて、現場に入っても近くの他担より遠くの自担。自担ロックオン型でひたすら双眼鏡で覗き、ひたすら行動をメモる。楽しかったなあ…ストーカーかよ。

 

 

 

そんな自分が大好きだったはんぺん…あっ、反面、反同担拒否派だった私が同担拒否になったことにしんどさを感じるようになる。濵田担を自ら避け、何も濵田くんの情報が入って来ない。だからこそ、勝手に私の中で創り上げられる濵田くんのスパダリ説。私の中では濵田くんはジャニーズではなく彼氏と同等の立場にまで上り詰めていた。そんな濵田くんに沸く周りの女の子たち。また独占欲が邪魔をする。なんで私の濵田くんにキャーキャー騒ぐんだ。延々とこのループ。

 

 

なにこれ、クソだるくない?オタクやめたい。

 

 

オタクしてる自分が大好きな私 VS 同担拒否してる自分が気持ち悪い私 の闘いはなうぇすと期間ずっと行われていた。私がいないところで濵田くんが他の女の子にファンサしてるのが辛い。濵田くんのいるところに私がいないのがしんどい。

 

 

 

なうぇすとが終わり、現場がなくなった頃、周りのみんなが妄想をし始めた。それはそれは毎日賑やかで最初は楽しかった。でも正直濵田くんの妄想は胸糞悪かった。濵田担じゃない女の子が濵田くんの妄想するとかもってのほか。自担以外で妄想できるその脳みそどうなってんだ?っていつも心の中で喧嘩ふっかけてました、ごめんなさい。まあ濵田くん、ジャニーズWESTを代表するリアコだから仕方ないんだけどサ。分かってるんだけどサ。そもそも濵田くんは私のものじゃないんだけどサ。

 

 

 

この独占欲とイライラを別グループに当てることも出来ず、悶々としていた私に突然春が訪れる…いや夏か?

 

 

 

私は濵田くん以外に独占できるものを手に入れたのである。テッテレー!独占レベル1206アップ!独占できるってめちゃくちゃ幸せじゃん!そうしてようやく気付く。

 

 

 

独占できないものを独占しようとするからイライラするんじゃね?

 

 

 

気付くのが遅すぎた。そんな簡単なことに気付くまで、約1年半かかった。とんでもねえ………

 

 

 

私は今別のオタクをしている。オタクって言い方は可笑しいけど、オタク並みに濵田くん以外のものを愛でて、追いかけて、独占している。カメラロールはそれで埋まり、私のお金は全てそれに注がれる。濵田くんへの独占欲や、悶々としてた気持ちはスゥーっと消えて、濵田くんは一人の男性から元のアイドルに戻った。なうぇすとの時なんて使命感に駆られてひたすら濵田くんを追いかけていたけど、その使命感に縛られることなく、純粋無垢だったあの頃の私みたいに、適度な距離感で応援できるようになった。濵田くんがアイドルに戻ったこと、私に自分はただのファンであるという自覚が戻ってきたことにホッとした。

 

 

 

ジャニーズWESTのグッズは全て売った。CDもDVDもなにも残っていない。それで良い。私の平凡な人生は平凡なまま進めば良い。狂ったみたいに濵田くんのグッズを集めてたあの頃の私に教えてあげたい。

 

 

 

お前、濵田担降りる日が来るぞ

 

 

 

私をオタク沼から救ってくれた人に、とても感謝している。でも、でもさ、やっぱりふと思うんだよ。オタク同士で馬鹿みたいに自担自慢したりとか、現場で集まってただただ騒いだり、団扇並べたり、変なグループ組んだり、その全てが私にはキラキラ輝いて眩しすぎる。楽しかった。

 

 

 

戻りたいなぁ

 

 

 

そう思ってしまうのは、本当に心から楽しかったからだろうと思う。濵田担を降りた直後は「私から心も時間もお金も取り上げやがって…返してくれよ…」って濵田くんが憎くて仕方なかったけど、やっぱり濵田担であった時間は私にとって絶対必要な時間だった。

 

 

 

濵田くんは私に心の底から他人を好きになることを教えてくれた。濵田くんは私にドキドキすることを教えてくれた。濵田くんは私に努力は報われることを教えてくれた。時々見せるお茶目な一面とか、影で努力する強さとか、メンバーもファンも虜にする優しさとか、全部が大好きで、全部に憧れた。万人に好かれちゃう濵田くんは私の自慢の自担だった。このままずっと濵田くんのことを好きだったら、今までもこれからもずっと幸せだったんだろうなぁ

 

 

 

でももうおしまいです。まさか、前回の担降りブログから1年後に担降りブログアゲインするとは思ってなかったです………でもまあ、良かったのかなって思います。私は普通の女の子に戻ったし、濵田くんは普通のアイドルに戻ったし、これが私の理想だったし。濵田くんは私に色んな夢を見させてくれました。私の青春時代はこれにて終了です。アイドルに捧げた10年、ジャニーズWESTに捧げた3年、たかが3年だったけど、泣いたり笑ったり悲しくなったり喜んだり、とにかく濃い3年間でした。ありがとう。私は濵田くんのファンになれて幸せでした。

 

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