中間淳太に渇いた花を歌って欲しい願望
“渇いた花”
言わずと知れた名曲です。隠れた名曲?いやいや、名曲です。私は関ジャニ∞の名曲としてゴリ推ししてます。誰がなんと言おうと名曲です。
『今は泣かせておくれ 渇いた花になろう』
なんて綺麗な歌詞なのだ!と、初めて聞いた日にはとてもとても感動しました。きっとこの花は沢山の葛藤、悩みの中を生き抜いたのだろう…と。花は渇いたら萎れてしまうのに、この曲に出てくる花は萎れていない。むしろ、前向きに生きている。どんなに心では泣いていても、笑顔で生き続けている、そんな強さを感じます。でもその強さはとても儚くて、時に切ない顔を見せます。触れたら壊れてしまいそうな繊細なものをこの“渇いた花”は持っています。
なんで淳太くんにこの曲を歌って欲しいのか。それは彼の声がまさしく“儚い” “切ない” “繊細” を兼ね備えた歌声だと思うからです。
そしてもう1つの理由。それは、この“渇いた花”を人に例えると、中間淳太 しかいないと(私は)確信したからです。
(ここからは暫し、私の妄想ですお許し下さい)
きっとこの花はひとりで何もかもを抱え込んでるんです。『どうしてあんなに急いでたんだろう?自由が欲しいと叫んでたのに』『どうしてあんなに酷く傷つけ誰も信じず生きていたんだ?』周りに気を遣えば遣う程、何が正しいのか分かんなくなる。周りには迷惑かけたくないから誰に相談していいのかも分からない。でもこの花はしっかりしてるから、そんな素振りも見せず、誰からも心配されない。周りからの信頼が大きいからこそ、とても孤独だと思います。
そしてそんな花と淳太くんは私の中で完全に一致しました。気遣い上手、場の空気を読むのもうまい、グループの最年長、それ故の絶対的な信頼。濵田くんも言っていた通り、恐らく彼は「丈夫な人」です(なにわぶ誌参照)。でもきっとそれは彼なりによく考えた上での格好であり、本当は沢山悩んでいて、心では涙を流したこともあるのではないかと思います。例え彼が完璧ボーイであったとしても、人という事実に変わりはありません。人はそんなに強くないです。たぶん。グループ内には手のかかる弟たち(笑)も居て、淳太くんを心配する人なんてきっと桐山照史くらいです。でもその位、信頼されてるのだろうと思います。孤独を感じることもあるでしょう…
(ここまでは全てフィクションでお送りしました)
もし仮に、淳太くんの本当の姿が私の描く淳太くんと重なるのなら、やっぱり私は中間淳太に渇いた花を歌ってほしいです。中間淳太のいちばんの理解者である桐山照史とデュエットなんてしてくれたらこの世に後悔はありません。やっぱりB.A.Dは強いです。結論そこです。あのふたりの関係性がずっと、この先ずっと、オンリーロンリーを杖をつきながら歌う日までずっと続けば、それでいいんです。気付けばB.A.Dの話です。B.A.D万歳。